
9.凍結乾燥法
一昔前までは電子顕微鏡は高分解能であるがゆえに超薄切片を作り細胞内を観察するだけで多くの発見がもたらされた。しかし、現在はそのような純粋形態学的な研究は終わり、物質を主体とする研究が主流となっている。標的蛋白質がいかなるアミノ酸配列でどのグループに属し、いかなる機能を持ち、細胞内のどこにどのような形で存在するかを明らかにすることが重要となっている。この後半部分に電子顕微鏡が使用される。すなわち顕微鏡であるが分析機器の一つとして使用され、観察は測定と言う言葉で置き換えられつつある。急速凍結が物理固定であるならば、凍結乾燥法はいわば物理的脱水である。細胞内蛋白質の物性(抗原性など)、流動的元素(Caイオンなど)の保存に最も適していることは容易に想像できる。また、無固定で樹脂に包埋してもコントラストが比較的高い。通常グルタール固定後アルコール脱水し、Lowicrylなどの水溶性樹脂に包埋した場合、電顕下でのコントラストは極めて低く、神経細胞のシナプス小胞を観察できない。私の経験ではLowicryl
K4M樹脂を用いた免疫細胞化学でシナプス小胞を観察できたのは凍結乾燥標本だけであった。凍結乾燥は物性保存と言う点で優れているので様々な分野で使用されているが、ここで言う凍結乾燥は生化学実験や走査型電子顕微鏡観察で用いられる簡単なものと異なる。当然のことながら氷晶形成による構造損傷や乾燥による構造の倒壊が起きては困る。したがって、凍結は急速凍結法を用いることは当然であるが、急激な乾燥による構造破壊を避けるため、低温(約-100℃)で24時間以上かけて行うのが普通である。-100℃近傍で乾燥が進行するのは奇妙に思うかもしれないが、これは急速凍結のためである。これは急速凍結により生じるアモルファスアイス中では水分子が水素結合で束縛されないため、通常より低い温度でも昇華が起ると考えられているからである。そこで米国ではfreeze-dryと言わずmolecular
distillation dry(分子蒸留乾燥)と呼ぶことがある。このようにして乾燥した試料は物性と構造の保存がよく、免疫細胞化学、EELS分析やX線微小分析に最適であるばかりでなく、走査型電子顕微鏡による表面観察においても極めて優れた前処理と思われる。今後様々な分野で応用される可能性が高い方法である。
必要な装置
急速凍結装置、分子蒸留乾燥装置(凍結乾燥装置)(フリーズエッチング装置でも代用できるが効率が悪い)(真空デバイス社より温度制御がプログラムできる装置が発売されている。)もし、ベルジャー内の空間が広い昔の真空蒸着装置があれば後述のようなデバイスを自作すると質の良い真空乾燥が手軽に出来る。
実際の手順:
最初に真空デバイス社から発売されている分子蒸留乾燥装置(VFD-300形超高真空凍結試料乾燥装置)を使用した場合について記述し、次に簡便な自作器で行う場合について説明する。
- 生物試料を適当な大きさに切り出し、急速凍結する(急速凍結の項目参照)。
- あらかじめ液体窒素で冷却(chilled)した凍結乾燥用のホルダーブロックの所定の箇所、自作であれば図のような金属ブロックのセンターホールに凍結試料を入れ、フタをする。
- 凍結乾燥装置に入れ、-100℃で12時間続いて1時間に5℃ずつ上昇させ-90℃にし、そこでさらに10時間放置する。この間10-5Paの真空度を保つことが望ましい。その後、1時間に10℃ずつ上昇させ12時間かけ、30℃まで上昇させる。
- どのような解析を行うかにより乾燥後の試料処理法が異なる。EELSイメージングやオートラジオグラフ、構造観察にはオスミウム蒸気にて5分間固定する。免疫細胞化学の場合はパラフォルムアルデヒド粉末から発生する蒸気で5分間固定する。これでどれだけ固定効果があるかは定かではないが何も処理せず包埋した試料と比べると樹脂硬化時の損傷はかなり減少する。もちろん無固定で包埋することも可能である。なお凍結乾燥により完全に脱水されているので包埋は試料を直接樹脂混合液に浸ければ良い。真空デバイス社の分子蒸留乾燥装置では乾燥後真空チャンバーに固定用ガスを導入できるようになっている。
- 免疫細胞化学用にはLowicryl K4Mなどの樹脂に包埋し、その他の用途にはエポキシ系樹脂に包埋するのが一般的であるが、筆者の経験では凍結乾燥の場合オスミウム蒸気で固定しなければエポキシ樹脂に包埋した試料でもかなり良い免疫染色結果を得ている。しかし、抗原や抗体の種類や状態に依存するのであえて推薦はしない。
自作の乾燥器を使用する場合:
ずいぶん昔の話になるが、UCLA留学中ナトリウムポンプを可溶性のトリチウムウワバインで標識し、オートラジオグラフにより活性型ポンプの局在を調べるために凍結乾燥が必要になり、自分で作製したのが図1のブロックタイプ乾燥器である。このブロックは6cm×6cm×6cmの真鍮でできた立方体で中心に穴を開けただけであり、また簡便なフタがついている。これを液体窒素で冷却し凍結試料を中央のホールに入れ、真空蒸着装置に持ち込む。この時、熱絶縁体としてペーパータオルを二枚下に敷きその上に冷却ブロックを置き、真空を引く。ブロックは徐々に温度が上昇し24時間ぐらいで乾燥できる。結果は良好であった。その後の固定は図7-2のように栓付三角フラスコあるいは栓付ビンにオスミウム結晶片など目的に合わせた固定剤を入れて行う。固定時間はやはり5分である、その後は前述と同じように樹脂に直接包埋すする。真空からとり出し固定している時間大気中の水分と触れるが、あまり問題にはならない。包埋後は超薄切片法、免疫細胞化学を参照。
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図1 簡便で自作できる凍結乾燥用真鍮ブロックの図
真ん中に試料を収納するためのポケットを設けてある。液体窒素で冷却し、凍結試料を入れ、真空蒸着装置のベルジャーに移し、脱気する。冷却金属の中心ポケット内はベルジャー内よりかなり高い真空度となる。このため10-4Paに到達するかしないかの古い蒸着装置でも分子蒸留乾燥が可能である。
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図2 オスミウム結晶(黄色)を入れた三角フラスコに凍結乾燥した試料を入れて蒸気固定している図
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コラム
分子蒸留乾燥装置(凍結乾燥装置)について:
最初にこの装置を開発したのは米国HoustonにあるLife Cell社である。2,000万円近くする高い装置であったが、現在は製造を中止している。Life
CellはUniversity of Texasのキャンパスそばにあるベンチャー企業で凍結装置の開発も手がけていた。凍結から乾燥処理の請負もしていた。私が夏休みを利用して二ヶ月ほどNIHの客員研究員をしていた時、サンプル処理を依頼したことがある。急速凍結装置をBethesdaの研究所に持ち込み、私が剖出した組織を手際よく凍結し、液体窒素で冷却した容器に詰めて会社に送っていた。一ヶ月半ほどして包埋されたブロックと一部切片にして撮影した電子顕微鏡写真が郵送されてきた。2,000ドルほど請求されたが、10サンプル程お願いしたので手間暇を考えると安かったと思う。向こうもかなりのdiscountと言っていたが本当なのだろう。今度また機会があったらお願いしてみようと思っていたが、サンプル処理請負も現在中止しているそうである。会社も潰れたのかと思ったが、そちらはまだ存続しているとのことである。なお、分子蒸留乾燥装置の製造権はTusconにあるRMC社に譲ったといわれているが、RMC社も分子蒸留乾燥装置は現在製造していない。そういうわけで現在手に入れることの出来る乾燥装置は唯一真空デバイス社のものだけである。
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図3 凍結乾燥切片の抗オプシン(抗体)による標識の写真
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図4 凍結乾燥切片のナトリウムポンプに関するオートラジオグラフィの写真
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